縛られたい 奴隷になりたい 首輪をされたい 調教されたい M女のためのサイト

あまいSM せつないSM 

ブログ

ご主人様の奴隷になりたい Mのかわいい心理

投稿日:

 

私はM女とひとときをすごすことで、癒そうとしていたのかもしれない。

癒そうとしていたものがなにかは、今でもわからない。

 

奴隷として向き合うとき、大人の女は、退行し、幼女のようになる。

羞恥、被虐、陵辱を経て、素直になり、健気になり、自分が愛しくなる。

その変化の過程が女として、いい。

 

浄化され、癒され、繰り返すことで次のステップに自然に向かう。

もっと自分を大切にしようとして、自分のために何が必要かと、自然に選択するようになるのを、私はたくさん見てきた。

それでいい。

いい女を、「お前」を奴隷にできたということだけで、瞬間でも私のものだったというだけでいい。

すてきな主であったと思ってくれているのだろうか。

 

M性とはあまえたいという願望だ。

それはさみしいからだ。

そして、誰かに自分を見ていて欲しいからだ。

 

 

私から求めることは、私といることで自分のためにプラスになるということだけだ。

奴隷は私のことも心配してくれる。

たいがい、年が違うから、私のことはいいから、自分のために調教されて、卒業して行けという。

それじゃご主人様はさみしいじゃないですか。。。

だけど、私はいい女をひとときでも私の奴隷にして、ペットにして、可愛がり、調教、管理して、悩みや成長や、心のきれいさや、女の香りや体が支配できたことでいいのだ。

人は人が笑うとしあわせを感じるし、人がよくなること、まして関係した相手がよくなることに悦びを感じるのが性だ。

ただいじめるとか、大きな声を出すとか、汚いとか、痛いだけとか、SMはそんなものじゃない。

関係性をプラスにできたなら、主従恋愛として小さな思いでとしてそっと閉まっておいてくれたならそれでいい。

相手が若いとどうしてもそうなる。

ある程度の大人の女との出会いがそろそろあるように感じているのは気のせいか。

 

奴隷になるということは人生を崩壊することじゃないし、墜ちることじゃない。

Mならば(Mじゃないなら奴隷のあまさやせつなさはわからないから、SMしないほうがいい)、自分を認めて、解放して、体を拘束されること、支配されることで心の自由を得る。

そして、今までどうしてもできなかったことができるようになる。

自分をいじめることをやめて、大切に思うようになる。

 

性欲だけどか、今の自分が辛いからSMに逃げるとか、ほんとうは違う。

だけど、人は間違い、失敗しながら成長していく生き物だから、最初はそれでいい。

私はそれを修正していく。

 

ご主人様と奴隷の距離

 

久しぶりに会ったとする。

自慰を禁止しているから、体は火照っている。

ゆっくり食事をしながら、下着を脱がせ、ときには股縄で過ごさせる。

仕事や生活や、夢や、荷や苦をすべて聞く。

報告させると言っていい。

心も支配していたい。

奴隷になることで、安堵や平安を感じるのがM性だから、主として優しく接したり、厳しくする。

 

私の方を向いて、服を脱がせる。

心も裸になる。

信頼関係ができてから、主と奴隷の関係がある。

あたりまえだ。

変なのとか勘違いしているのもいるから、やたらとできるものじゃない。

それはおたがいさまだ。

私は、時期がきたら、きちんと仕事のことも自分のこともすべて晒す。

あたりまえだ。

真剣に自分を捧げる相手に対して、女としてのプライとを傷つけないように、人としてちゃんと向き合うためにそうする。

奴隷なのだから、みじめなこと、恥ずかしいことを少しずつさせるけど、ひとつずつだ。

あたりまえだ。

信頼できない相手に体を捧げることなどできるわけがないし、リスペクトしなければ奴隷として仕えられない。

 

ひどいことをさせられるのがM性ではない。

被虐のあまさ、飴と鞭、予感とか、余韻とか、あまずっぱさとか、素直さとか、せつなさがマゾヒズムだ。

そういうことをちゃんと教える。

首輪。

縄。

鞭。

命令。

管理。

奴隷。

ペット。

 

SMはきれいで、あまく、せつないものだ。

そういうこと教える。

汚い言葉とか、ドロドロの性欲だけどか、痛いだけとかスカトロとか、それは違う。

 

 

ふだんは頑張って生きている。

だから奴隷の時間が輝く。

ときに、股縄ですごさせる。

そのとき穏やかだ。

 

鞭で尻を叩く。

なにがしか、素直じゃなかったとかそういうときだ。

ごめんなさいと啼く。

どうして叩かれているのかと聞き、お仕置きだと答えさせる。

そのとき平安だ。

 

生まれたままの姿になって、縄を受けるために両手を背中で組む。

うなじが自然に垂れて、はかなく思う。

私を信じてくれているから、縛られるとき、安らいでいる。

 

首輪は癒やしだ。

そのままの自分でいることができる。

 

SMとはそういうものだ。

 

恋人のようにあまい時間を与え、主として毅然と向き合うとき、瞳が変化する瞬間がいい。

凜として、瞳が濡れている。

厳しく縛められながらMの自分と向き合う時間は、私といるときだけで、生涯ないことなのかもしれない。

将来を邪魔はしたくないし、しあわせになることを望むようになるから、辛くてもそのときがくる。

私も私の生き方があるから、大丈夫だと送る。

そのときがいつかくると感じながら、首輪でつながれ、ペットとして扱われる自分を経験しているのだ。

そこからもっと羽ばたこうとしているのだ。

 

ちゃんと考えているのだ。

逡巡して、悩み抜いて、調教を受けにくるのだ。

そういうのがわかるから、かわいい。

私が出会ったM女はみな真剣だった。

性欲だけとか出会いサイトのノリの人は、だからいやなのだ。

 

 

 

 

-ブログ

Copyright© あまいSM せつないSM  , 2019 All Rights Reserved.