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SMと退行 マゾヒズムのせつなさと被虐の悦び

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M性はマイノリティだと思う。

それでいい。

(これは個人的な意見です)

 

虐められることに悦びを感じる。

管理されることに安らぎを思う。

そのことにときめく。

 

それは特別なものでも、変態でもない。

可愛がられたい、誰かにみとめてもらいたい、ひとりでは風が吹くと倒れそうになるからだ。

その奥にあるのは、あまえたいという願望だ。

愛されたいから。

同時に、誰かを愛したいから。

今、それがないから、さみしさを感じる。。。

 

セックスのマンネリや性欲の延長でSMごっこもいい。

なんちゃってSMもいい。

だけど、ほんとの主従関係はもっと深いし、あまいしせつないものだと思う。

それはプレイのハードとかソフトではない。

被虐の悦びと、奴隷として調教され、かわいがられ、お仕置きされる自分でいたいからだ。

 

SMは経験しないと、わからない。

 

奴隷で在りながら、同時に人として、女として暮らす中で、一時期かもしれないし、性奴隷という生き方が自分にふさわしいと思うかもしれない。

深い癒し、開放、成長、今の自分を超えるために奴隷の時間があってもいい。

ちゃんとしようと、今よりもっとよくなろうと、自ら進化しようとするのが命だ。

そのために、心の奥のマゾの部分を癒やし、解放する。

そうして経験し、卒業するか、マゾとして生きていく生き方もある。

 

ただ、ストレス解消や性欲のはけ口だけのSMは、さみしい。

 

奴隷として体を捧げる

 

少し乾いている状態がいい。

だから自慰を禁止する。

股縄で生活させる時もある。

 

普段は社会の中でのふつうの女性だ。

頑張ろうとしていて、もがいていて、理想通りにいかない自分を責めたりして、ああしようとかこうしようとかやりながら、人の波にのまれそうになりながらふんばっている。

 

私にだけ見せる、本当の自分。

奴隷の時間。

 

目の前に立たせる。

仕事や生活の疲れがほんのりある。

ゆっくり服を脱ぎながら、自分に戻ろうとする。

いつもの自分から、もうひとりの自分に変わっていく瞬間の女らしさは、M性のある女性ならではのもので、せつない。

羞恥にに震えながら、体の奥が痺れてくる。

被虐にマゾ性を刺激され、頭の中が白くなる。。。

 

覚悟を決めて、下着を脱ぐと、微妙に表情が変化する。

その一瞬を超えて、Mのそれに変わる。

飼い主として、私も毅然と向き合おうとする。

 

主従関係は通常の男女のつながりより深いと私は思う。

恋のようでもありながら、少し違う。

奴隷として自分のものだと思いたい。

主は所有、管理、飼育したい。

奴隷はそうされたい。

主のための体だと思うとあまずっぱくなる。

 

生まれたままの姿になると、体を調べる。

躾けた検査のポーズをとらせる。

膝立ち、両手は頭の後ろ。

奴隷として飼い主に体を捧げる。

もう覚悟ができているから、瞳が潤んでいる。

乾いている体は、主に捧げ、調べられるだけで反応する。

 

そういうのがSMで、ただのプレイではない。

 

被虐に酔う感じは、受け身の女らしく、優し気ではかなく、そんな仕草が自分のものだと思うと、所有者として心が溶けてくる。

震える肩や鳥肌立った内腿に、心の奥の状態をを垣間見ることができる。

もっと、すべてを、所有したくなる。

かわいがり、虐めたくなる。

 

飼い主の意のままの自分でいる平安

 

縄を持つと、背中を見せて両手を交差させる。

弱く、はかなく、もろくて弱い自分を、飼い主に委ねるために緊縛を受ける。

これでいいのかと悩みながら、それでもMとして縄を受ける。

 

拘束しながら、なぜ縛られるのかと聞く。

いつものようにに答える。

「体を拘束されることで心の自由を得る」

 

調教を繰り返すと、縄に体が反応して縄酔いする。

縄に抱きしめられる。

 

これから鞭を与えられるのか、飴で翻弄されるのか、飼い主の意のままの自分でいることに、心とからだがせつなくなる。

私の好みに変えていこうとして、そうされることに悦びを感じている。

縛れば、心の機微もわかる。

 

未来や夢だけは奪っちゃいけないから、そこだけ守りながら、支配したいと思う。

奴隷にもそれはどことなく伝わっていて、ずっとそれができないと思うと辛くなったりするのを、なんとなく感じている風だったりする。

 

肌に食い込む縄の感触を確かめるように、俯いて目を閉じている。

小さく喘いだり、縛られた指を開いたり閉じたりしている。

縄に当たる皮膚は敏感になり、強い刺激を体は求める。

だからしばらくそのままにしておく。

焦らされた体は、なにもしなくても大きく昂ぶりはじめる。

 

 

何もしない。

鞭で叩かれたい、筆でねっとり愛されたい。

体が求めているのに、いつものように焦らされる。

 

体が熱くなり、Mとして被虐の悦びを感じているのを、ただ見るのも調教だ。

刺激が欲しいから女が動く。

アリの戸渡も濡れてくる。

 

俯いて、視線に耐えてられなくなり、かすかに喘ぐようになる。

仕置きか褒美を待ちわびる。

そのときほど、マゾとして美しいときはない。

普通の女性にはない輝きだ。

被虐と羞恥に酔う様は、はかない。

 

そのありさまをも、飼い主に捧げるのがMの悦びだ。

 

飴より鞭が欲しくなってくる。

メスの四つん這いにさせる。

叩きやすいように、尻を持ち上げさせる。

仕置きを待つ表情が見たくて、髪をかき分ける。

 

SMはプレイだけじゃない。

鞭で打たれたいと心の底から思わせてから打つ。

弱く打ち、何もしない。

強く叩き、優しくなぞる。

不規則に打つ。

 

打たれるつもりでいると、打たれない。

いつ打たれるのかと尻がすぼまる。

叩かれないと尻が緩んだ時に打つ。

だから、長い吐息で喘ぐ。

強く打つと子宮に響いて、弱く打つともどかしい。

鞭は、そんな感じで使う。

ただ痛いだけじゃない。

 

飴 SMの退行

 

鞭で体をとろとろにしてから、仰向かせる。

見せてごらんと命令すると、いやあと哭きながらも、おずおずと足を開く。

鞭で昂った体を見られる。

 

筆の穂先をゆっくり這わせる。

 

鞭の後の飴はあまい。

 

女をわざとそらして、鼠径部や戸渡りだけ筆を使う。

足を閉じると辛い仕置きがあるから、筆に翻弄されながらもその姿勢を崩さない。

やっと与えられる褒美は、弱く、もどかしい。

弱い刺激に耐え続けるのは、飼い主に所有されている自分だからだ。

いじめられ、焦らされ、昂ぶる様を捧げるためだ。

それが被虐の悦びだ。

 

ようやく豆に筆を使われ、神経をそこだけに集中する。

筆はへそや鼠径部に逃げる。

焦らされ、繰り返され、直前で寸止めされる。

 

主のされるままの操り人形のような自分は、マゾらしく主に写っているだろうか。

見られているという意識から、見てもらっている、守られているという気持ちに変わる。

 

そのとき、M女は退行する。

そこには、膝を抱えて泣いている幼い自分がいる。

 

せつなく喘ぎながら、自分はノラわんこではない、飼い主に所有され愛されていると思うと、Mとして、しみじみとした慈しみに満ちてくる。

その様子をも飼い主が見ていて、殻を脱ぎ、すべてを飼い主にだけ捧げる。

 

私のSMはそんなものだ。

あまく、せつない。

 

そういう悦びはMだからわかることで、だからマイノリティでいい。

わからない人にはわからないから。

 

もう自分をいじめなくていい。

責めなくていい。

それは心がバランスをとろうとして一生懸命だっただけだから。

輝こうとしている命に向き合っていい。

ブレーキをかけている何かがあれば、外していい。

間違っていい。

間違って、失敗を繰り返して進化するのが宇宙の定めだから。

 

そんなことが、なんとなくわかってくる。

 

深い癒し

 

何度も体が浮いて、なにもされず、哀願し、ようやく許される。

体の力を抜いて、瞬間を迎える。

のけぞり、反り返る。

少しの余韻を与えられ、昂らされる。

二度目の波は大きい。

 

体が宙に浮く。

すとんと落ちて、太古の、大きな安らいだ時間が訪れる。

うっとりしながら、飼い主のための自分だと思うとやるせなくなる。

 

よしよしと、かわいいと、蒸したタオルを、女にあてがわられる。

余韻はあまく続き、このままでいたいと思う。

 

それでも奴隷だから、飼い主に開かれ、解放したあとの体を調べられるのをただ受け入れる。

体の奥まで調べられ、管理されている身のささやかさを思う。

 

心も支配されていたいと、願う。

それが私の調教だ。

 

奴隷として調教、飼育、管理されるのは堕ちるのではなく開放だ。

 

縄を解こうとすると、このままでいたいと囁く。

弛緩した体の横に侍り、腕枕をして、いい子だったとキスをすると、受け身に受けながら、そっと涙を流す。。。

 

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