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M女調教日記

自分がMか確かめたい 

投稿日:

じぶ

Mならば、Mとして生きていいし、人生のひとときを奴隷の時間として持っていいし、そうしなくてもいい。

Mかもしれないけれど、その前に人間だし、女だ。

いろんな面がある。

自分のM性をマイナスと思っていた。

自分をいつも責めていた。

 

自分がMか確かめたい

 

真剣なメールだった。

自分がMなのか、MだとしたらMとして生きていくべきなのか、それは超えていけるものなのか。

真剣に悩んでいた。

だから会った。

 

街は人で溢れていた。

みんな、一生懸命に生きていた。

私も昔は、人混みが大嫌いだった。

もういいおっさんになった今、間違いながらも、いまよりしあわせになりたいと生きている健気な命に見える。

 

勘違いしているメールがたまにくるけれど、私は仕事をして、ちゃんと生きている。

バツイチで、もういい年で、だれでもいいわけじゃない。

私はホストじゃないし、奉仕系のSではない。

ひとりだけれど、豊かな時間の中で生きている。

その中でSMの時間がある。

どんなにいい女でも軽いノリの相手はしない。

それはこれまでの真剣なつながりに対して失礼だからだ。

 

駅で待ち合わせ、俯いていた。

人気のないところに行って、覚悟があるのかと聞くと、こくんと頷いた。

裸になり、縛られ、鞭で叩かれる。

私も真剣じゃないならしないこと、いつでも帰ったらいいということ、ほんとはちゃんと向き合えるM女性と出会いたいことなどを伝えた。

 

ゆっくり縛るとそれだけで喘いだ。

はじめての縄の感触をどう感じただろう。

手首は細くて、指を閉じたり開いたりしていた。

肩のラインが弱々しくて、うなだれたうなじがせつなかった。

 

Mという立場

 

縄に抱きしめられる。

ベッドにうつ伏せて尻を持ち上げさせて、少しだけ鞭で叩いた。

経験してみたかっただけだから、私もそう向き合うしかない。

叩くと尻が揺れる。

私の奴隷ではないから、それ以上できない。

 

縄をほどいて首輪をかける。

四つん這いを命じ、しばらく放っておいた。

奴隷ならいちから躾けるけれど、経験するためにきたのだから、合わせたし、さみしかったし、そのことをきちんと話した。

あごを指で持ち、顔を見ると、「私のためにごめんなさい」と目が潤んでいた。

必死に生きている日常がわかった。

だから主として演技をした。

Mならば飼い主のための自分という立場に感じるものだ。

調教され、管理され、飼育される自分が愛しい。

そうじゃないとただのプレでしかない。

それはただのストレス解消でしかないので、ほんとの癒やしじゃないし主従はそんな軽いものじゃない。

 

体をさしだしなさいと命じた。

膝で立ち、両手を頭の後ろで組ませた。

腰を突きださせた。

それが奴隷のポーズだと教えた。

 

勘違いしている人が多い。

主に仕えることに、自分を奴隷として捧げることに悦びを感じるのがM性だ。

そういう気持ちを経験させるしかなかった。

濡れているか調べるから、自分で開いて見せてごらん。。。

はじめてだから、経験だから逡巡したのは当然のことだ。

その覚悟を決める直前の表情や仕草がいい。

 

少しだけ、指で開いて、ひっと閉じる。

見せてごらん。。。

静かに言う。

もう一度開こうとして、できない。

開きなさいと厳しく言う。

繰り返しながら、体が熱くなるのがわかる。

 

奴隷の時間

 

ひっひっと体をのけぞらせながら、開いた。

濡れていることを指摘して、主の前で体をさしだすことは奴隷のつとめであって、それに反応するのがM性で、そうじゃないならただの性欲だ、そう伝えた。

繊毛が揺れていた。

腰のラインやあごや瞬きや、ふと見せる安らいだ感じがマゾヒズムを感じた。

久しぶりのSMだった。

だけどその人にとってははじめてのSMであった。

 

だからそういうことを考えなければいけなかった。

簡単に奴隷になるべきではないし、私もだれでもいいわけじゃない。

 

濡れていることを叱り、首輪にリードを繋いで鞭を持った。

あぁぁと上を向いた。

四つん這いにさせ、鞭で叩いた。

はじめてだから弱くした。

なぜ鞭で叩かれているのかと聞いた。

お仕置きですと弱く答え、あまく啼いた。

肘をついた”伏せ”をさせた。

前に回り顔を見た。

被虐に酔う女の表情をしていた。

鞭の音が哀しく響いた。

 

服従のポーズ

 

自分がわからなくなっていた。

頭の中が真っ白で、体は制御できなくなっていただろう。

心は少し癒されたのだろうか。

 

はじめてだから、ベッドに寝かせた。

その人の横にはべり、腕枕をして、私の首に腕を廻させた。

そうして足を大きくM字に開かせた。

それが服従のポーズだと教えた。

 

返事は? と促すと、はいと小さく答えて、はい、ご主人様と言わせた。

いい子だと褒めて、指で高めた。

くださいと哀願させ、そのときを報告させた。

その瞬間は体も瞳も私に見せるのだと教え、その通りにした。

 

SMとはそういうものだ。

自分の体は飼い主のものだ。

だからあまずっぱい。

だからせつない。

そんな感じがないなら、ただの性欲だからMではない。

そんなことを話した。

 

だけど、それは人生のほんのひとときだ。

いつもは社会の中で、自分の人生と向き合い、戦うときは戦うべきだ。

社会の中で、愛や思いやりをシェアしたり、感謝とか、人としてちゃんと使用と頑張って、その上でそっとSMの時間がある。

奴隷の時間はあまいけど、それはひとときで、自分と向き合い、自分を見つめたり、傷ついたり、悩んだり、頑張ったりしながらやっていけばいい。

 

間違ったら修正すればいい。

子供のように無邪気に、心の自由を忘れずに、だけど社会とうまく向き合うことを少しずつ学べばいい。

生まれてきた意味や、哲学的なことや、自分が宇宙に何ができるのか、宇宙や社会や家族や他者がどれだけ自分にしてくれたことをおもうことができるのか。。。

奴隷としてM性を抱えていいけれど、それだけではさみしい。

それは人生の一時で、自分の命と真剣に向き合い、疲れたら、自分に戻りたいときSMをしたらいい。

 

M性とは性欲だけではない。

あまえたいという心の奥のものだ。

いじめられたいのは自分を認めようとしたいからだ。

それはさみしいからだ。

さみしいのは、今の自分を自分が認めていないからだ。

だけど、生きていることだけで素晴らしいことだと、今わかってほしい。

生まれてきたとき、ウエルカムと言われて祝福されてこの世界にきた。

いやなやつもいるし、辛いときも多いけど、愛や思いやりはいたるところにある。

少し忘れているだけだ。

それは、忙しいとか、頑張りすぎているとか、今の自分を過小評価しているだけだ。

 

自分を自分がわからなくなっちゃっているだけだ。

そんなときって誰でもある。

それを性欲で解消しようとすることとSMは違う。

プレイがSMではない。

主従とはもう少し深いものだ。

 

そんな話をした。

どうすればいいのかという話はしなかった。

自分でちゃんと考えたらいい。

自分をそっと見たらいい。

だけど、主従なら、そういう時間を共有できるし、そうできないならそれは軽い関係性でしかない。

私はそういう主従関係はしない。

 

すがりついてきた。

足を伸ばさせて少し見えている豆をいじった。

柔らかい、温かい女の体をなぞった。

 

仕草や喘ぎや表情や、香りや哀しい感じを感じて、それに私は癒されると言ったのは本音だ。

お前はM性を確かめるために来たのかもしれないけれど、お前のために優しい気持ちになれた人間がいる。

 

ひっくひっくと肩を揺らして泣きだして、そうするといじめたりかわいがりたくなって、そうした。

 

元気でいるのだろう。。。

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