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だめな自分と奴隷の誕生日

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私は間違っていた。

大切なことを忘れていた。

いくつになっても、馬鹿のままだなあ。。。

 

 

本音で書く主従関係

 

誕生日なのを忘れていた。

プレゼントは渡していたけれど、忘れていた。

私は、くだらない話をしようとしていた。

誕生日だと知り、恥ずかしく、それを忘れていた自分が、今、恥ずかしい。。。

 

Sであり、Mである。

だけど、同時に人間だ。

もっといえば命だ。

 

私はこの年になっても馬鹿だから、誕生日を忘れていた。

ほんとうにくだらない、どうでもいいことに心がとらわれていた。

今、とてもとても恥ずかしい。

真剣に向き合っている相手に対して、自分は真剣に向き合っていたのか。

私に見せるために買った下着を見たとき、ネイルした爪を見たとき、頑張っておしゃれな服を着てきたとき、私の前で服を脱ぐとき、縛ったら泣くとき、鞭であまえるとき。。。

そういう立ち居振る舞いを思うとき、真剣さに今更ながら心が震える。。。

 

私は自分をえらいもんだと勘違いしていた。

愛で生きようとして、Sであること、仕事のこと、男としてやりたいことなど、思いや悩みを伝えようとしている中で、いつの間にか自分の思いだけをつたえているだけの、くだらない男になっていた。

あまえていた。

Mとして、生活が大変な中で必死にやりくりしようとしていることに、目を背けようとしていた。

自分より、どこまで大変なのか。

どこまで危険をおかそうとしているのか。

 

このサイトは、すごいアクセスがある、みたい。

人はいろいろで、いろいろな人がいるし、SMもいろいろある。

正解とかない。

だけど、だいたい、グロテスクとか痛いだけとか、汚いとかのイメージが多いようだ。

軽いSMもあるだろう。

別にいいけど、俺たちは違う。

そですり合い、やっと出会ったのだろうと思う。

それはいつもそうだ。

 

いろいろあるSMの中で、あまずっぱく、せつない関係性、主従でありながら、相手に恋をして、どう向き合えばいいかと悩んで。

そういう主従だってあっていいと私は思う。

それが主従じゃないと思う人はそれはそれで、それが多分ふつうで、だけどSMの世界は広く、深いので、ときめきやふれあいや、お互いを思いやる温かさがないと、ざらざらした、心は遠い関係性になると思うから、私は違うと思う。

ぎっちりした主従じゃないと自分のM性が満たされないとか、性的に満足できないというのは、(そういう自称Mが自分はSMのことを知っているといわんばかりな感じ)エゴマゾというのだと、私は思う。

マゾヒズムの被虐とは、性欲ではない。。。

真剣に主に飼育、所有、管理、調教されないと、中途半端になるから、ぐたぐたするだけで、解放にならないと思う。

 

人生とSM

 

最近はもうないけど、昔とても多くあったメールがある。

出会いサイトで自称Sとどうとか、一回だけ縛られて自分はMだとか、普通のセックスでは満足できないとか。

そういうものと、SMは違う。

 

虐待されてMになった女性もいた。

真性もいた。

自分がわからなくて、憧れのような感覚でSMの世界にきたいと思う女性もいた。

 

今を否定していて、忘れたいから、痛めつけられたいというのもあった。

なんか違う。

相手は都合のいい女にしようとしているか、利用しようとしているか、勘違いしている、自分がよければいいという、自分のためにM女を求めているだけの相手にしか会っていない。

 

小説なような世界と現実は違う。

主従は主従だけど、同時に相手に恋をしていないと続かないと思う。

その上で、悩んだり葛藤して、そのことが、もしかしたら、スピリットの進化になっているのだろう。

じゃないと、単に性的な満足だけのつながりになってしまう。

それは、さすがにくだらない。。。

 

自分のM性とどう向き合うか。。。

一歩ふみだすか、抑えて生きていくか、どうすればいいか悩むか。

空とか風とかの中でちゃんと、ひとりぼっちで一生懸命考えたらいい。

 

M性というのは乗り越えるべきハードルのひとつでしかない。

そのとき、その人にとっては何度も生まれ変わり癒やそうとするほどの強いものではあるかもしれないけど、その人の本質ではない。

命とか愛とかの次のものがSMで、性欲だけの感じでSMとむきあうのは さみしい。。。

 

どうしようもない自分についてくる 健気でまっすぐで きれいな心

 

誕生日を忘れていた自分が恥ずかしい。。。

ほんとうは、ふたりで夜景の見えるおしゃれなバーかなんかで、股縄で酒を飲み、部屋に戻って調教して。。。

 

現実と向き合わなくてはならないから、そんな感じも思っていたのだろうけど。

自分に傷ついたし、くだらないことに振り回されていることに気づいた。

達観したような、だけどさみしげな、ささやかなしあわせに委ねようとする感じ(それはいつも大変だから)とか、なんかいろいろが混ざった表情にぎくりとした。

ラインの動画で、これから誕生日を家族で祝うとさみしげだった。

私の孤独を少し思ったからだとわかっている。。。

相手の気持ちをわかるところが、私は好きなところだ。

体も好きだけど、ほんとは純な心が、自分の心が洗われるように思うのだ。

 

そういう女が私に恭順し、管理、所有、飼育されていることに、そっと悦びを感じる。

それと生活と同時進行しないといけない。

漫画みたいなことと現実は違う。

それは静かでいいので、家族で祝い、ロウソクを消して。

私は、私の奴隷のそんなときの表情とか、はみかむ感じとか、遠慮がちに微笑むときとか、なんかわかる。

それは私が立ち入る世界ではない。

それは私がなくしたもので、憧れているもので、底に対しては私は無力だ。

 

M女もそれをわかっているから、そういう表情をしていた。

私の荷や苦と向き合えないことや、人生のことや、家族のことなどを含んだ感じ、飼い主だからわかった。

理屈ばかりの人にはわかんねえことだろう。。。

 

かすかな月の横に小さく瞬く星がある。

Happy Birthyday to my Slave.

 

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