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SM調教と奴隷の時間と暮らしの重さ

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ご飯を作るのが面倒くさいから、いつものばあちゃんの店でビールを飲みながら飯を食っていた。

きたねえ店なのに、忙しくて、いろんな人がきた。

ばあちゃんは忙しいから、「ビール飲むぞ」と自分で冷蔵庫からだした。

ばあちゃんは、手を動かす合間に、「あいよ」と白菜のおしんこを、だんとテーブルに置いてくれた。

お母さんと女の子がテーブルでご飯を食べていた。

若いお母さんは、おしゃれをしていなくて、ラーメンを食べながらカツカレーを食べる子供を、親猫が子猫をみるような穏やかな、やさしい瞳で見ていた。

アイスクリームを買って帰ろうというようなことをお母さんが言うと、わあいと女の子は足をバタバタさせた。

お母さんは静かにラーメンを食べていた。

”団らん” とか ”家族” という言葉が浮かんだ。

忘れようとしていたものだった。

美雨に会いたくなった。

美雨はどうしているかなと思いながら、塩っ辛いおしんこをかじった。

 

M女のはかなさ

 

 

それこそ、必死の覚悟で、私の奴隷になった。これでいいのだろうかと

自分らしくあるため、勇気をふりしぼって調教を受けていたのを私は知っている。

服を脱ぐと、覚悟を決めたように凛とした。

首輪をつけるのとき、ネックレスをつけるようだった。

調教のあと、安らいだような表情になった。

それでもさみし気な感じはした。

 

はじめて会ったとき、とてもうれしそうにした。

縛るとはかなかった。

それでわかった。

頑張って頑張って頑張って、少し無理をして暮らしている。

もうひとつ。

少し前からわかっていたことが、はっきりした。

 

女としての自分が生活の中に埋もれてしまうのではという不安と葛藤と、さみしさが、すっと入ってきた。

洗濯をして掃除をしてご飯を作っているかわいい女性が、そのことに、いいのかなって女として悩む。

そういう女性だから、はかなさがある。

清潔な感じがある。

純粋で、そっと咲く花のけなげさがある。

M女というのは、そういうところがいい。

 

そう思って街を見ると、みんなほんとは孤独で、ひとときの華やぎで街に行く。

M女は、ひとときの安らぎや自分に戻るために奴隷の自分になる。

それはひとときで、管理されていたとしても、社会の不条理や、今の自分を好きになれなくても、それでも必死に生きている。

内腿が細くて、わずかな曲線が、か弱かった。

弱く喘いだ。。。

 

もし、毎日繁華街で華やいでいたら、そんなけなげさやはかなさは減っていると思う。

心の純粋さがなかったら、毎日ごみをだしたり、皿を洗ったりし続ける自分を許せなくなる。

そのことに葛藤していた。

 

鞭の後、なぞった体の温かさに、いろんなことが伝わってきた。

ふたりとも疲れきっていたから、いつの間にか手をつないだまま寝ていた。

手首の縄の後が哀しかった。

 

そのままでいい そのままが、いい

 

温かい感じとM女のはかなさ、人としてのさみし気な感じが同居しているのは、今の地道な生活があるからだ。

奴隷だから、調教しているからわかることがある。

ふつうのセックスだったら、部屋を暗くして、布団の中だ。

表情や、肩の震えや、あえぐ様や、せつなさは、主だからわかるものだと私は思う。

性欲だけやプレイだけがSMじゃない。

もうちょっと深いものだと私は思う。

そして、SMはステキなものだと思うけど、すべてではない。

 

今のままでいい。

もし、自分のことだけで今の生活を放棄したら、ぜんぶがおかしくなる。

自分が自分じゃなくなる。

魅力が半分以上なくなる。

もう少ししたら、状況が変わって大きな変化もあるかもしれない。

 

そして、しあわせは、ほんとは自分の中にあるって、どっかで気づいているのも、知っている。

 

きっと自分の命が成長しようとして、今は女を磨くためにそうしようとして、人として学ぼうとしているから、今があるっていう気がする。

それは今は、で、未来は違うし、大人の女としていつかまた会えるだろう。

 

人としてステキな女性が、奴隷になるとき、女としてMとして調教されるのがいい。

女としての自分が生活に埋もれていくことに、いいのかなって感じている。

年をとってしまって、女としての魅力が、と思っている。

それでも今の生活もあるし。

 

もう少ししたらわかる。

それは、大人の女になるための時間だ。

気づいていなくても、地味な生活の中で、人として学んでいる。

女を、実は磨いている。

仕草や表情に、さりげなく表れて、それが女の魅力だ。

 

 

自分がM なのか確かめたいと、真剣に調教された女性がいた。

生活のため、M男性の女王様になる、だけど自分はMだから記念に一度だけ調教されたいという女性もいた。

みんな、青い鳥を探しているのだと思った。

私が年がら年中SMばかりしていたら、ほんとの女性は見向きもしないだろう。

 

Mならば、向き合っていいし、癒していいし、ブロックを外してもいいし、開放していい。

だけどそれは今じゃなくて、将来でもいい。

タイミングってある。

 

さみしくていい。

迷っていい。

はかなさやさみし気な感じと同時に、温かさを感じたのは、今の生活があるからだ。

悩みながらも、一生懸命やっているからだ。

それがなければ、はかなさも温かさも感じない女だったかもしれない。

 

暮らしの重さや団らんを、いつも感じる。

 

悩んだり苦しんだりしながら暮らしていくのは世の常だ。

 

だから、今は、そのままでいい。

そのままが、いい。

 

また孤独を感じて、焼酎を頼んだ。

お母さんと女の子はもういなかった。

「明日仕事なんだろ、帰れ」

「うるせえ くそばばあ」

「くそたれないばばあがいるか」

ばあちゃんは、沢庵を、だんとテーブルに置いてくれた。

あの親子は、こたつで、テレビを見ながらアイスクリームを食べているのだろうと思うと、胸の奥に小さな灯りがともった。

 

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