縛られたい 奴隷になりたい 首輪をされたい 調教されたい M女のためのサイト

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縛られる 縛られたい 縄酔いと平安

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いつでも、ステキな出会いを求めようとするし、ドキドキわくわくしていたい。

奴隷が、ひとりだけいればいい。

 

僕の仕事の長年のおばあちゃんたちはステキだ。。。

腰が痛くても、旦那さんがお亡くなりになっても、ひとりぼっちでも、ちゃんと、どっこい生きてる。

そういう人たちとつながれることができたことだけで、儲かんねえけど、この仕事していてよかったなあ。。。

 

小さな幸せを、それでも一生懸命追いかける人たちに出会えてほんとによかったなと、思う。

 

どきどきわくわくして、生きる

 

SMは、性欲や羞恥や言葉では言えない、頭が真っ白になるほどのものだけど、それだけじゃない。

お互いを大切にする、しようとする関係性だ。

それがないと、主従関係は成立しない。

当たり前だ。

裸になり、すべてを委ねる相手に対して、こっちもちゃんとしなくちゃならない。

真剣に向き合わなくちゃならない。

そういうことわからない相手なら、くだらないから離れていったほうがいい。

 

先日、こんなメールがきた。

ずっとSMに思いがあった。

それでも、そんな自分じゃいけないといつも思っていた。

なんだかよくわからない相手に、ネットで知り合い、メール調教された。

僕のこんなサイトを見て、SMってもっと違うものだと思った。

それでも、私はそれではいけない、だから卒業しますって。。。

学生さんみたいだった。

 

こういうメールもあった。

50歳代で、出会いサイトで知り合った相手に一度だけSMっぽいこと、(なんちゃってSMなのだろうけど)されて、自分はMだと気づいた。

相手は既婚者で彼女がいて、自分も既婚者で彼氏がいる。それでどうとか。。。

 

こんな連絡もきた。

SM性感やいろんな人に調教されて、満足できない、だから調教してほしい。。。

 

僕はホストじゃないので、そういうメールには辟易する。

だけど、こんなサイトだけど、SMに対する見方が変わりました、私はけして変態じゃない、M性を開放しようと思います、ステキなご主人様に出会えましたというメールもくると、うれしくなる。

 

ふだん隠している部分を、本音のところと向き合うのがSMなので、いろいろを超えたところにきっとある。

社交辞令とか、いちばん遠いところにある。

 

自分のM性とどう向き合うかは自分が決めるので、飼い主が決めることじゃない。

飼い主は、委ねてくる相手に対して向き合い、大人としてただ対応する。

深くなれば、ある程度かすべてを委ねさせる。

 

SMはDVや暴力じゃない。

縄はあまい。

首輪は

命令、管理はあまずっぱい。

 

そして、いつもいつも、同じ繰り返しの毎日に、ほんとは、心の奥ではどきどきわくわくしたいと思っている。

それが通常は、あまいもんとか酒とか、友達とのおしゃべりだけど、M性はそれでは癒せない。

だからSMをする。

それで、きっと、いい。

カルマとかトラウマとか、自分にブロックをかけているなにかある。

それがM性だとしたら、それを開放することで、心は自分から成長しようとする。

 

なぜなら、宇宙は進化の法則の上に成り立っているから。

すべての出来事は、成長のためのステップだから。

 

だから、どんなことがあろうとも、ドキドキワクワク、童心に帰ろうとする努力こそ、いちばん大切じゃないかという気がする。

 

おばあちゃんは、小さな庭の花が咲いた、と喜んでいて、そういうの見ると、じわんとなる。

 

ご主人様と奴隷

 

このサイトはSMのサイトなのでSMのことを書く。

今までどうやって生きてきたか。

今、どう生きているか。

それを共有するのがSとMだ。

 

そういうのないなら、くだらない、軽い性欲だけの関係性で終わる。

主従はセフレではない!

もっと深い。

 

だけど、そうなるまでには時間も必要だから、少しずつ近くなっていくことは必要だろう。

いきなりむりな命令に従う必要はないし、人として女として、ちゃんとしないとだめだ。

 

飼い主を、この人はどんな人だろうとちゃんと見る。

飼い主は、この女性はと、優しい人か、人の痛みのわかる人からちゃんと見る。

お互い完璧じゃないから、間違う時もあって、それでも相手の本質を見て、主従が続けば少しずつ深くなる。

 

SMはセックスの延長線上ではない。

どうしようもない中で、寄り添い、また社会で戦うためのものであっていい。

それを繰り返した時に、やっと、もっと、深くなる。

そこまでいくと徹底的になるから、大人としてお互いその手前で止める。

そうしないと、檻で飼うとか、極端な汚いとかになる。

そういうSMもあるので、それはそれでいいけれど、僕のSMはもう少し精神的な、お互いがよりそうような、どうしようもないときに、ご主人様は私を見ていてくれる、自分にはかわいい奴隷がいる、だから、もう少しだけでも頑張ろうと思える関係性だと思う。

 

SMだけが人生じゃない。

人生は、たくさんステキなことがある。

その中で、SMすることはけして、自分を穢すことじゃない!

ちゃんと向き合う時、癒しであって、深いし、心の奥で、膝を抱えて泣いている自分と向き合うチャンスでもある。

 

SMは、開放だ。

もうひとりの自分と向き合う時間だし、ほんとの自分と出会う時だ。

ときめきやあまさやため息だ。

きれいで、艶めかしくて、ステキだものだ。

 

縄は、縄にハグされることだ。

縄に委ねるだけでいい。

最初は羞恥がある。

見られている。

それがせつなくなり、あまくなる。

服を着て颯爽としている自分と、裸で縛られる自分の葛藤。

どっちが好き? と聞かれ、答える。

殻を破り、自分と向き合う。

平安が、M女に訪れる。

子供の時のような安らいだ面持ち。

そのとき、縄酔いする。

飼い主にすべてを委ね、飼い主は、体、表情、心を見ようとする。

 

腰のくびれ、女らしい仕草、恥ずかしがる表情、被虐、Mとしての開放・悦ぶ様を見る。

ゆったりと、たうたうように時間は進む。

 

おばあちゃんは、おいしいお菓子があるんだよって、一服しようって。

人助けだと思って頑張りなさいって言ってくれた。

自分はひとりぼっちで生きているのに。。。

しあわせの青い鳥のありかを、わかっているような気がした。

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