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SMプレイ

SMという愛し方を彩る道具たち

投稿日:2017年7月20日 更新日:

 

SMには道具は必ずしも必要ではないけれど、あったほうがいい。

 

 

だけど道具は道具として使うなら道具でしかないけど、それぞれに意味を持たせたら道具は道具以上のものになる。

 

縄は抱きしめられるためのものだ。

なわにハグされる。

体の拘束はこころの拘束だ。

安堵がある。

 

首輪は所有と支配の証しだ。

大切に飼うということだ。

リードで繋がれた時のM女の表情は言葉にできない。

 

鞭は痛めつけるためのものじゃない。

あまい。

 

電マやローターやバイブも、気持ちよくなるだけじゃない。

快感と焦らしを与えるためのものだ。

 

 

生活の中にSMのある風景

 

体を責めるのはこころを責めている。

男として、仕えてくれる証しとして恥ずかしいときや、解放の時をMとして飼い主にさしだす。

それは委ねてくれているからで、委ねるというのは覚悟のいることで、それをちゃんと理解しないと飼い主の資格はない。

 

SMのプレイは従順さや素直さを確かめ合うためだ。

だから僕はプレイだけの関係はしない。

体を追い込んで、許しを請わせて、奴隷でいることを誓わせて、涙がでそうになって、それでもSとしていじめて、そしてかわいがる。

 

少しずつ、そこまで自然に持っていくのが愛し方で、無理やりしたりいきなり鞭打ったりとかは無謀すぎる。

 

少しずつ調教して躾けていく

 

少しずつ無理なく躾けのために命令して、それを守れないと躾けのためにお仕置きする。

厳しいお仕置きを覚悟して、鞭をみて、ごめんなさいと喘ぐ。

どんな厳しいお仕置きかと身構えた時、あまく鞭を使う。

やさしくして、ほっとした時、叱って躾ける。

少しずつ厳しくして、ごめんなさいという言葉の中にほんとうがわかった時、褒める。

そのとき、かわいがるのもご褒美も、どんなこともしてあげたいと思う。

 

深いこころのつながりがあって、プレイがある。

愛を感じない飼い主に繋がれているなら、くだらない。

自分をもっと大切にした方がいい。

 

すべてをさしだすのだから、愛のない相手にできるわけがない。

こっちも愛を注ぐのだから、プレイだけの相手に本気になどなれない。

 

SMは愛し方で、そのためのいろいろな道具がある。

プレイのための道具じゃない。

愛するためのもので、それは彩りだ。

首輪を廻して、かちっとはめる瞬間に奴隷の自分になる。

それをリードで繋がれて、四つん這いに自分からなる。

大人の時間が始まる。

 

SMのあまさとせつなさ

 

裸で首輪でつながれると、ほんのりあまい安心感がある。

鞭で囚人のようにお尻を打たれながら、あまずっぱくせつなくなる。

 

我慢した後褒められて、ローターや電マやバイブでかわいがられるとき、喘ぎながら官能と感動がある。

相手の愛を思う。

SMは、愛がないと成立しないと僕は思う。

もちろんそうじゃない人もいるからそれはその人だから自由だけれど。

 

お仕置きの時、厳しくすると、少し心のつながりが遠く感じる。

不安になる。

それでもMなら、お仕置きは苦手だけど好きだからしてもらう。

そのあとかわいがられると、こころと体は溶ける。

つながりが戻ってきて、安心して委ねることができる。

 

明日、また頑張れる。

自分らしくなくても、理想と違う自分でも仕事でも生き方でも、それも学びのためだと理解できる。

 

優しいSM

 

やさしい気持ちになれないのならほんとの主従ではない。

それは相手にだけじゃなくて、他人に対してもだ。

街の風景がすてきにみえて、人の何気ない営みがいいなって思えて、もいっかいがんばってみようって。

お互いこの人だと感じて、飼い、飼われて、悩みながら、やっと自分らしく輝いて日常も踏ん張れる。

主従の関係、SMはそういうもので、中途半端なプレイだけとか、適当なつながりならやめといた方がいいと僕は思う。

これは個人的な感覚なので、違うと思う人はそれはそれでいい。

 

素直な奴隷にかわいいなあって思って、さみしくないのかな、ご飯は食べたのかな、ちゃんと眠れているのかな、しあわせなのかなと離れていても感じることができればすてきな関係なのだろう。。。

 

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