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マゾであることは恥ずかしいことじゃない

投稿日:2017年1月29日 更新日:

 

 

なんども書くけど、Mであることはだめじゃない。

年明けに、同じような複数の相談のメールがきたから、あえて書く。

自分は変わっているだとか、アブノーマルだから私はだめだとか、自分を責めている。

そうじゃない。。。

 

Mであることは、かわいい女性ということだ

 

縛られたいとか、いじめられたい、首輪で繋がれたいというのは、あまえたいからで、それは、女性としてかわいいんです!

強気な女性もいる。

しあわせは自分で見つけます、私は私の生き方があります。。。

そういう女性もいて、それはそれでいい。

 

だけどM女は、自分を、委ねたがる。

管理されたいと思う。

縛られて、恥ずかしいことをされたい、奴隷として調教されたいと思う。。。

それは、弱さとさみしさと、誰かに見ていてほしいというこころだ。

女として扱ってほしいのと、人として認めてほしいのと。

不安で、ひとりぼっちで、なにがただしいのかわからなくて、荒野にひとりでぽつんといるような気分になるのかもしれないけど、そのとき、どうしていいかわからなくなるのだろうけど、そういう弱さや健気さは男から見て、Sとして、かわいさなんです!

 

なんどか、書いている。

ステキな自分なんであって、けしてだめじゃないし、むしろ、M女のこころはとてもかわいい。

 

M女の表情、仕草はせつなく いじらしい

 

縛られるというのは、縄にハグされることだ。

首輪をかけられるのは、ひとりじゃないということだ。

SMはただのプレイじゃない。

飼い主に求められるままの自分をさしだすことだ。

 

縛ると女らしく、大人しくなる。

動くとき、腰のくびれが艶やかだ。

恥ずかしがる仕草は、ほんとにかわいい。

裸にして、女を開かせて、○○の体を調べてくださいといわせて体をさしださせる時の、覚悟した、うっとりした瞳は女性としてすてきだ。

いちばん恥ずかしいところを、飼い主に素直に差しだす。

悩みもある。

逡巡もある。

それでもMとして、自分を解放するとき、内面の悶々としたものも消えていくし、女としてきれいになる。

 

SMじゃないなら、灯りをけして、布団の中でSEXをする。

それはそれでステキなことだけど、きれいな体を縛って、昂ぶらせて、女としていちばんきれいなときをみてもらいたいのがMでもある。

 

M性を満たした時、安堵感と癒しがある

 

縛られて、どこまでも焦らされて昂ぶらされた自分を想像してみたらいい。

首輪をかけられて、四つん這いでかしずく自分を思ってみたらいい。

みだらで、だけど健気で、愛されたいと思う自分は、女性としてすてきだとちゃんと認識するべきだ。

 

管理されている自分、所有物でいる自分、愛されている自分。

飼い主に飼われている自分。

自分の体を女として、マゾとして、扱ってくれる飼い主に差しだす。

そのとき、こころも所有されていることに気づいて、安堵感がある。

 

マゾであることは、マゾであることの悦びがある。

それはこころの深い部分で、日常の社交辞令とか軽い付き合いを超えたところにそっとあって、そことほんとは向き合いたがっている。

そこを解放した時、癒しがある。

 

M女は、そのこころがかわいい

 

いわゆる普通の女性より、マゾであることは、女性としてかわいいと私は思う。

健気で素直で従順で、弱さとはかなさがM女は持っている。

だから、自分を卑下することはない。

 

私はこれまで、ステキなM女とすてきな時間を過ごしてきた。

ほんとに長い人生の中で数人だけど、ステキな女性だったし、すてきな思いでです。

だからはっきり言えます。

M女はとても魅力的で、

そういう自分だということを、理解して自信をもって生きるべきだ。

 

ただのプレイだけじゃない。

SMは、だから深い。

 

その理解の上で、縛られた自分を想像してみたらいい。

体をさしだす自分。

首輪で裸で四つん這いの自分。

焦らしの後の解放。

管理され、飼われる自分。

お仕置き、ご褒美、奴隷の誓い、被虐。

そして恋。

 

ほんとうにたまに、こういうサイトをしていると、ステキな女性との出会いがある。

 

羞恥はあまく 被虐はせつないSM

 

社会、家族、仕事、しがらみ。。。

必要なことだけど、いちばん大事なことじゃない。

 

平均と比べて、自分をジャッジする必要はない。

それは個性だから。

個性がない人は、逆に魅力が半減する。

 

SNSで、何食ったとか、どこいったとか、それはそれでいいけれど、表面的なことでしかなくて、

心の奥の自分と向き合うと、愛とか平安とかもう持っていたんだときづく。

多くの人が、表面のふわふわしたところで生きている。

自分と深くかかわろうとしていない。

主従の関係は深いから、そことお互い向き合い、悩み、成長していくような気がする。

心の奥にマゾの部分があるなら、奴隷の時間は必要で、それから卒業するなり、奴隷として生きていくなり決めたらいい。

それは、ずっと先ですてきなおもいでになる。

SMはただのプレイじゃなくて、奴隷になるということだから、それなりの覚悟はいる。

奴隷として仕えて、その上で調教がある。

ただのプレイは僕はしない。

主従の関係は深い恋愛で、奴隷に対して調教(プレイ)する。

 

SMは人が思うより、刺激的だし、すてきなものだ。

羞恥はあまく、被虐はせつない。。。

だから、あまいSM せつないSM。。。

 

最近は相談ばかりで、志願がないなあ。。。

 

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