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M女としてご主人様と向き合うもうひとりの自分

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いつものばあちゃんのとこで飯を食った。

隣のおじさんが途中から酔っぱらってきて、少し俺に絡んできた。

関係ないから、俺は自分の夢や孤独と向き合おうとした。

 

だんだんうるさくなってきて、「もう帰れ」とおばちゃんに言われたりしていた。

気持ちがぎすぎすして、それでも俺も庶民だから、こういうのも仕方ないとも感じた。

だけど、どうしようもなく、さみしくなった。

 

ハレとケ

 

おじさんは、ばあちゃんとけんかして帰っていった。

ごめんね、と言われて、いいよ、と言って、ひとりになるのが怖かったから、汚ねえ店でぬるいビールを飲んだ。

 

そういうときもある。

いろいろあるから。

 

俺はだけれど、無理をして少しいいところで飯を食う。

一番安いコースだ。

それは豊かさを感じるためだ。

静かな時間を楽しむためだ。

お年寄りのご夫婦が静かに食事をしている。

家族で誕生日を祝っている。

 

その中に、少し人生の豊かさとか、人の善や、生きることの意味を考えたり感じたりすることができるからだ。

無理をして絵を見に行ったり、神社の神聖な空気を感じたり、自然に触れあったり、ごくたまにする。

一日、ファミレスで小説を読む。

 

ほんとは庶民だし、がらじゃない。

商売でやっとだ。

定食屋でいつも飯を食ってる。

それかご飯を炊いて、サケかなんか焼いて焦げちゃったのをぼそぼそ食っている。

人の波に流されそうになりながら、何とかやってる。

生きるために必死だ。

だけどそれだけでは辛くなる。

そんな毎日だと、なんかがぽろぽろこぼれ落ちていく気がする。

命の豊かさ、生きているありがたさを感じようとしたい。

 

仕事の合間に海で寝転ぶ。

できもしない瞑想をして、愛を感じようとしたりしてみる。

そういう時間も必要だ。

SMも同じだ。

 

ハレとケだ。

晴れの日と、毎日。

日常と非日常。

パーティやイベントは、楽しみ、豪華な酒と食事を楽しむ。

雰囲気を味わう。

だけどいつもは、地味で、人に揉まれながら生きている。

その中で、お互い様とか、思いやりとか学び、悩みながら暮らしている。

 

ハレのところに行くときは、それなりの服装をして、そこのマナーを守り、静かな時間を楽しむ。

マナーって、相手の豊かな時間を壊さないためだ。

上っ面のものじゃない。

お皿の柄、雰囲気、もてなそうとする心を感じる。

ひとつの素材でも、丹精込めて、手を込んで、でてくる。

そういうのを楽しむ。

いつもの店は百均の、それもかけたやつをどかって置かれる。

それもありだ。

 

SMもそういうところがある。

ふだんは、社会の中で、社交辞令と、やらなくてはいけないことに追われている。

その中で、ふと、さみしさを感じても、瞬間、「ちゃんとしなきゃ」と自分を飼いならして、毎日を過ごす。

なんか違うと、みんな感じている。

どう生きればいいのか、何のために仕事してるのか、自分はなにものかと、わからなくなる。

指の間から、ほんとの大切なものがこぼれていくのを感じながら、それでも今の中でやっていくしかない。

 

Mである場合、そういう心のすき間を埋めるのが調教であっていいのかもしれない。

昔は、主従関係恋愛がSMだと思っていた。

素晴らしい女性と、素晴らしい時間をすごした。

 

だけど、俺が定食屋のばばあで飯を食う毎日と、たまに豪華な食事と同じなのではないかと感じるようになった。

 

一生懸命生きている。

ぽかっとどこかで穴が空いているのを感じている。

 

電車はぎっしり、仕事はどっさり、恋はさっぱり。

M女なら、ひとときの特別の時間として、SMと向き合っていいと思う、ただし、真剣ならば。

 

ひととき、服従を誓い、自分を超えていく。

奴隷として、管理され、所有される自分として、安らげる中で暮らしてみる。

家庭を守ろうとして、それでも、女としてMとして、やりきれない思いをどこかで癒す。

真正なら、Mとして、ひとつずつ、被虐やあまさのほんとのSMの深さを感じて、M女として開発されていく。

人生のひととき、奴隷の時間を持ってみる。

普段のセックスでは味わえない、深い官能に浸る。

 

SMって、奥が深い。

同時に幅が広いから、いろんなSMがあっていい。

 

いろんなSM観

 

いじめられたい。

かわいがられたい。

縛られたい。

首輪でつながれたい。

命令されたい。

凌辱されたい。

檻に入れられてみたい。

鞭で叩かれたい。

お仕置きしてほしい。

飼われたい。

管理されたい。

所有されたい。

 

書ききれない(笑)。

 

思いはいろいろだ。

経験すると違う。

憧れみたいに、最初はいろいろ想像する。

リアルでされてみると違う。

 

自分はこんなことをされたかったとか、もっとこうされたかったとか思う。

 

M性はいろいろだから。

それでも、ひとつだけ、根底にあるものは、飼い主の悦びのために自分が何ができるのか、とどっかで感じていてほしい。

それがなくて、自分がこうされたいだけだと、エゴマゾと言われる。

最初は、こうされたいでいい。

だけど、だんだん、Mとして育ってくるどこかで、その思いがほしいのがSだ。

所有、服従、支配、管理とか、自分を捧げる、さしだす、あまえる、躾けられる、お仕置きされる、とかそういうのに魅力を感じるのがMで、単なる性欲だけならMじゃない。

 

MなのかMじゃないかは、自分では(真正以外)わからない。

それから、M性は開発されていくものでもある。

 

異世界のものではない。

だけど、その人にとっての、ご褒美の時間のためにあってもいい。

主従恋愛ではなくても、完全な服従を誓わなくても、自分のために、それで輝くなら、それはそれでいい。

奴隷として服従し、飼われる。

経験として、思いでとしてSMと向き合ってみる。

そういうのもあっていい。

SMが特別な時間であっていい。

 

ばばあは、野菜の煮っころがしをくれた。

丼に大盛りのご飯を盛ってくれて、どんと置いた。

自分のおかずをくれた。

言葉で言わなくても、いろんなことがわかった。

ばばあは、テレビを見ながら、飯をかっこむように食べていた。

温かさを感じながら、俺も食った。

ばばあは、テレビで笑った。

入れ歯が落ちかかった。

慌てて手で押さえて、だから二人で、笑いながら飯を食った。

塩っ辛いおしんこを、奥歯で噛しみめた。

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