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奴隷になりたい、首輪をされたい、調教されたいというのは恥ずかしいことじゃない。

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M性というのは、開発されるものだし、大切に育てるものだ。

虐められていた少女時代に、M性に目覚めた女性もいる。

真正のマゾの女性もいる。

自分がMかわからない女性もいる。

 

凌辱されることで、自分を安堵させようとするのがM女だ。

何か心の欠乏を埋めようと必死なのかもしれない。

辛いものに、ふたをしようとしているのかもしれない。

哀しさや孤独を乗り越えようとしているか、いっとき忘れようとしているのかもしれない。

おれのSMは、同じ哀しみでも、もうすこし温かい何かだ。

いじめて、被虐を与えて、ハグする。

飴も鞭も、とてもあまいものだ。

それが大人の調教だ。

 

支配者と服従するものとの関係性

 

自分の立場を、奴隷として調教していくと理解するようになる。

そしてそう扱われることを望むようになる。

ただのプレイを超えるようになる時、主従の関係性になる。

受け身になり、待つ女になり、素直なかわいい女になる。

 

そして、奴隷として調教しながら、ちゃんとしあわせってなにっていうのと向き合わせる。

生活は、仕事は、夢はちゃんとするって、服従とともに誓わせる。

だから、残念ながらもろもろでお別れしちゃったけれど、ステキな女性だから、もてる。

そういう女は、もてる。

悔しいけれど(笑)。

だから、しあわせになっているだろう。

それでいい^^。

俺はSだし、マイペースでさみしがりでわがままだから、それについてきてくれる女性は、逆説的だけどステキな女性だと思う。

そうじゃない人とは、深くなれなかったということだけなのかもしれない。

だんだん素直になっていくのがM女さんだし、そう持っていくのがが大人の男だし、おたがい、誠実さや大切さや信頼を築いていかないと、そんなもの、おたがいだいたい、なんとなくわかるものだし、真剣に向き合おうとしているし、そうじゃないなら俺は調教しない。

 

主従関係は、恋愛とも思う。

それでもそうじゃない場合もある。

恋でもあるし、それと違う何かでもある。

徹底的な支配と凌辱を求める真正のマゾ女性もいる。

それでも俺は、最後はハグしたい。

よしよしってかわいがりたい。

心も裸になってほしい。

 

微妙な関係性でもあるし、いろいろだからそれぞれ少しずつ違う。

教科書のように人生はいかない。。。

人はそれぞれの人生があるように、M性はさまざまだ。

 

調教が進めば、私の前では、生まれたままの姿でいさせる。

もちろん、ふたりのときだ。

股縄で寝かせたり、下着を禁止したりはする。

居酒屋でローターで哭かせたけれど、社会の中でおかしくなるようなことはしない、当たり前だ。

酒を飲んだり、ご飯を食べるときは、普通のカップルに見えただろうけれど、主従で、深い関係性だ。

それは誰にもわからない。

 

ご主人様と奴隷の関係は、少しずつ深くするものだから、いきなり厳しいことはしない。

最初は、相手のM性に合わせる。

かわいがられたいのか、いじめられたいのか、管理されたいのか、焦らされたいのか、ソフトかハードか。

最初は、M女は不安だし、いきなり厳しい鞭や凌辱はできない。

大人のSMは、相手の状況を感じとりながら、少しずつ自分の色に染めていくもので、いきなり自分のやり方を押しつけても無理がある。

だけど、それに調子に乗って、自分がこうされたいだけしかない女性はエゴマゾと言って勘違いしている。

最初だから、信頼されるまで遠慮しているだけだ。

そこを勘違いしている人、結構多い。

 

裸になると、素直なMになる。

ソファに座る俺の前で膝立ちで、両手を背中で組んでうなだれる。

命令に従いますというポーズだ。

服従を示す。

その関係性に、きゅんとなるのがM性で、ただの性欲じゃない。

 

縄を持つと、背中を見せて縄を受ける姿勢になる。

首輪をかけ、リードで繋ぐと四つん這いになる。

 

主従関係はあまい。

けれど、それだけじゃない。

まずはSMのあまさを教える。

それから、焦らしや仕置きや、飴と鞭のせつなさを、心の揺れ動きを伝える。

次は、被虐だ。

少しの凌辱だ。

凌辱は、ほんの少しずつ、厳しくしていく。

体を捧げることや、命令に従うこと、支配され所有されていることを体で教える。

 

ひとつひとつ、階段を上るように調教していくのが、大人のSMだ。

 

そのとき、所有するものとされるもののふたりだった。

ふつうに仕事をして、生活をして、ご飯を食べて生きているふだん。

裸で、Mの自分と向き合う時間。

ほんとうのMなら、どちらがかけても欠乏を感じる。

 

SMは静かなものだ。

縄で縛られ、体の自由を奪われることで、心の自由を得ることだ。

縛られながら、これからを思い、すべてを捧げる自分に、体が火照る。

それが縄酔いだ。

 

揺れる女心

 

羞恥はあまい。

体を開かせる。

焦らす。

鞭。

バイブ。

ローター。

筆。

誓いの言葉。

被虐と羞恥と、理性の間で揺れ動く。

昂らされ、それさえもすべて観察され、開放の許可を待ち、焦らされ、火照った体をもてあます。

それらすべてを見られる。

ふだんの自分は颯爽としている。

そのギャップ。

 

自分がどうされたら弱いのか、どこが敏感なのか、どんな哭き方をするのか、飼い主はすべて知っている。

深くなれば、信頼ができるから、すべてを委ねたとき、SMの深さがわかるので、最初はお互い不安だし、かみ合わないときもあるし、相手に経験が浅いと気持ちよくないし、SMのよさはわからない。

 

飼っていると、刺激への反応と喘ぎ方と、表情や濡れ方や子宮の下がり方で、つまり体の反応で、心がわかるようになる。

羞恥から、せつなさ、あまずっぱさ、被虐、みじめさ、安堵、昂り、平安、温かさ、風のようなさっとした清楚さ、とか変化がわかる。

ふだんの自分でいようとするのと、体が持っていかれることで変化する心と葛藤する感じがいい。

悩みながら、少しずつ委ねようとする。

ご主人様、大好き、とそっと言ってくれたりする。

さみしがり、あまえてきて、自分を捧げようとする。

よしよしと最後にハグすると、あまえてくるか、涙をみせる。

M女というのは、それがかわいい。

M女じゃないと、それはない。

SMって、とっても深いし、ステキなものだと思う。

 

そしてMであることは、恥ずかしいことじゃない。

素直で、純粋で、ぶつかっていく勇気と、女としての感性の豊かさだ。

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